メールコミュニケーションの発達が、時間帯・スピード・距離の概念を変えました。
いや、なくしたと言っても過言ではないかもしれません。
相手の在・不在にかかわらず要件を伝えることができ、記録にも残るこのツールは、いつしか同じ職場内でのコミュニケーションツールともなりました。
メールコミュニケーションは1つの効率化も促進したとも言えるでしょう。
しかし、このメールコミュニケーション。
これこそが生産性を著しく下げる要因となったとも、私は考えます。
メールコミュニケーションの発達は、指示⇔確認の会話を職場から減らし、結果として「やり直し」を大きなものにしました。
上司からの依頼物を仕上げて報告してみると、「全然違うよ」と一蹴。
これまでかけた労力を無駄にするとともに、やる気も一気に飛ばされてしまいます。
もちろん「やり直し」は昔からありました。
しかし、余剰人員の少ない昨今において、そのインパクトはより大きなものになっています。
特に、メールコミュニケーションの多い職場はパソコンによる作業が多いことは言わずもがなです。
そうなると、上司から作業の進捗が見えづらくなってしまったり、またパワーポイントなどのソフトを使って細部にこだわってしまったりということがあります。
つまり、完成してからの報告が多いということ。
中間報告や相談が少なくなっているという話を様々な職場で耳にします。
「それなら、早めに報告・相談させる癖をつけさせればいいんだ」
というのが、“ごもっとも”な意見ですが、まさにそれができない人材や・職場を作っている1つの要因がメールコミュニケーションへの依存だと思うのです。
・メールでの依頼は微妙なニュアンスの違いがあっても、確認をはばかってしまう。
(メールは連絡には向くが、相談には向かない)
→とりあえず、「承知しました」で済ませてしまう。
・リアルな会話の機会が減ったため、指摘を受けることに抵抗感が強くなってしまい、相談を極力減らそうとする。
→相談することにも抵抗感があり、ネット検索で解決しようとする。
・上司もパソコンに向かっているため、声をかけていいのかわからなくなってしまう。
→特に画面に向かっているといつの間にか、眉間にシワが寄ってしまい…
などの理由が挙げられます。
また、モニター画面から発せられる光は細かい部分は多少無視して、全体的なパターンや流れを追うようなパターン認識モードに変えてしまうとのことで、思い込みで勧めてしまうことも多いようです。
(by マーシャル・マクルーハン)
メールコミュニケーションが悪と言っているわけでも、メールコミュニケーションをやめよう・減らそうと言っているわけではありません。
ただ、メールコミュニケーションだけで済ませていたところに、一本の電話や一つの声が加わるだけで、大きな「やり直し」が減るということは間違いないのではないでしょうか。
そして、そのようなコミュニケーションが相談しやすい職場風土をつくっていくのです。