本当に小さなことですが、感動したことがありました。
私は大学時代にアルティメットというフリスビーを使ったスポーツをやっていました。
先日、その学生チームの4年生卒業のパーティーに、OBOG代表として参加してきました。
いわゆる「追いコン」というやつですね。
2時間半の中で思い出を振り返り、卒業者からのメッセージがあり、プレゼントがあり、顧問からの激励があり。
その内容だけでも感動したのですが、さらに感動したのは、パーティーの終了後でした。
ビュッフェ形式の着席パーティーでしたが、学生達が各テーブルごとにお皿をまとめ始めたんです。
書いてしまうと、本当に小さなこと、当たり前のことなのですが。。。
これ皆さんやります?
高い会費を払い、飲み放題でお酒も入った状態、早く二次会にも行きたい。
むしろ社会人の方がこんなことして店を出る人はほとんどいないのではないでしょうか。
「そんなことはやって当たり前」という考えの一方で、「やる必要はない」「やらなくても良いかな」と考える方が多いのではないでしょうか。
特に社会人の方は。
「お金を払っているんだから」
「会場への嫌味になる」
「油物とそれ以外の皿が混ざるとお店の人が大変」
と言った理由から。
もしくは、「本当はやったほうが良いと思うが、他の人がやっていない中でやりにくい」という多元的無知状態もあるでしょう。
合宿などの共同生活をともにした学生だからこそ、当たり前のことなのかもしれません。
ただ、学生では当たり前だったマナーが社会人になると薄れていくことに、自問の余地も生まれます。
学生を卒業すると、その延長線上に社会人があると思っていました。
ところが実際は、学生から社会人になることで、集団が変わり、規範までもが変わるようです。
それこそ生まれ育った国や文化が違うほどに。
サッカーの国際試合で、日本人サポーターの試合終了後のゴミ拾いが注目されることがあります。
その際のインタビューで、日本人サポーターからは「当たり前」という言葉が発せられました。
掃除をすることが当たり前なのではなく、自分のゴミは自分で持ち帰ることは当たり前であること。
そして、使う前夜使った後はきれいにという考え方があること。
さらに、周りの人がやっていたら、同じようにすることは当たり前であること。
これらの考えのもと、ゴミ拾いを個人ではなく、集団で行っていたことに世界が注目し、「賞賛の嵐」と報道されたり、はたまた「異様」と映っていたのかもしれません。
ただ面白いのは、もう何年も前からこの日本人の行動は見られ、「賞賛の嵐」は吹いているのに、他国に広がってはいないこと。
「日本人は素晴らしい」という言葉の真意は「日本人だけがやっていること」であり、賞賛はしても共感はしていなかったのでしょう。
さらには報道当時から、「清掃員の仕事を取るな」「ただのアピール」「ゴミを移動しただけ」というった批判的な声も有りました。
賞賛している人の中にも、アライグマを見ている気持ちの人もいたかもしれません。
実際に、ゴミ拾いをしたサポーターの人は気にもしないでしょうが、これらの批判については意味が解らないことだと思います。
これこそ、生まれ育った国・文化の違いなんだなと。
何が良い、悪いという問題ではなく。
話が飛んでしまいましたが、「サポーターのゴミ広い」と「学生の皿まとめ」は、やっていることは同じ行為だと思います。
少し言葉を変えると「観戦後のゴミ拾い」と「飲み会後の皿まとめ」。
ほとんど同じはずなのに、「観戦後のゴミ拾い」は日本人として当たり前なのに、「飲み会後の皿まとめ」は当たり前ではなくなっている気がします。
1つには、公共施設か云々かということがあるでしょう。
(実際にはスタジアムは、鋭利施設ですが)
もう1つには、海外だからという視点もありますが、どうやらJリーグでもスタジアムにゴミはほとんど落ちていないようです。
そして、先述した通り社会人になると、当たり前が変わってくるというのも、あり得る話ではないでしょうか。
学生の時は、みんなお皿をまとめているから、それに倣ってまとめる。
社会人になると、みんな何もせずに帰るから、同じくそのままにする。
どちらが正解かではなく、集団が変わることで「多元的無知」の範囲が変わってくるんですね。
今まで同じ文化圏で育ってきたはずなのに、社会人になると急にマナーが変わる。
そして、思いのほかすんなりとその文化に染まっていく。
こんなところが日本人らしさなのかもしれません。