下記は、『日本人がなにげなく使う言葉に感激 フランス人が「心を奪われた日本語」とは』というネット記事からの引用です。
オレリアンさんが、自身のインスタグラムアカウント(bebechan_france)で「フランス人が心を奪われた日本語」として紹介したのは、「いってきます」でした。
最初は、「単純に『家を出るね』という意味だと思っていました」というオレリアンさん。日本の歴史や文化を理解するなかで、この言葉には「『必ず帰ってきます』という意味が込められている」と知りました。
オレリアンさんは、「いってきます」について、愛する人へ「無事に帰ってきます」という“誓いの言葉”として使われると説明。
また、「いってきます」と言われたら「いってらっしゃい」と答えることで、相手の誓いを受け入れて無事に帰ってくることを祈る意味があると語ります。
「いってきます」「行ってらっしゃい」、そして「ただいま」「おかえり」。
確かに、こういった言葉を外国語訳しようとすると、適切な言葉が出てこないことが多いようです。
「ただいま」「おかえり」の英語訳を調べると、「I’m home」「Welcome back」と表現されますが、実際には日常的には使われないようです。
フランス人の方も感激するあたりから、フランスでも日常的ではないようで、日本人独特のコミュニケーションなのかもしれません。
「なにげなく使う」と表現されていますが、まさにその通り。
フランス人の方が思うほど、私たち日本人は深い考えを持ってのやり取りを行っていません。
ただ、このやり取りがないことで、相手の感情や状況を不安に感じたり、自分自身の感情を害してしまうことに心当たりはないでしょうか。
そして、一人暮らしが長くなると、このやり取りに“あたたかみ”を感じる人もいるかもしれません。
そして、この記事を読んで、私が思い出したのは大学の文化人類学の授業、「クラ交易」でした。
「クラ」自体が交易という意味なので表現としてはおかしいかもしれませんが、何となくこの表現の方がわかりやすいですね。
「チゲ鍋」みたいに。
あ、その「クラ交易」を思い出しました。
「クラ交易」はパプア・ニューギニアにある地域で行われてきた儀礼的な交易の仕組みです。
島民は、他の島々に贈り物を送り合うパートナーがいて、赤い貝の首飾りと白い貝の腕輪を交換します。
島民は隣の島から贈り物を受け取ると、しばらく経った後に反対側の隣の島にそれを渡します。
結果的にこれらの貝の装飾品は島々を巡回し、自分の手元に戻てきます。
ちなみに、これは受け取る側が相手の島に取りに行きます。
贈り物自体に経済的な価値は無いうようです。
そして大事なことは、贈り物を受け取る側は遭難するリスクを冒してまで舟で隣の島まで渡り、贈り物を渡す側は歓待の儀礼に莫大な出費をかけることです。
経済的メリットが誰にも何もない文化ですが、だからこそ関係性が強化され、島間のネットワークが維持されているというのです。
ちょっと話が大げさになりましたが、もしかしたら「いってきます」「行ってらっしゃい」、「ただいま」「おかえり」もこういった意味があるのかな。
意識する、しないかは別にして。
と感じます。
もちろん海外でも、外で会った時の挨拶はあります。
(アジアでは、「ご飯食べた?」が挨拶代わりの常套句となっていることが面白いですし、そして日本だけにはそれがないことも面白いことです。)
一方で、今回取り上げた「いってきます」「行ってらっしゃい」、「ただいま」「おかえり」は、どちらかというと家庭などの普段いるコミュニティ内で良く使われる言葉です。
普段当たり前にある家庭だからこそ、こういった言葉のクラ交易が大事になってくるのかな、なんて思います。
ちなみに、自分は転職先で外出するときに「行ってまいります」と言ったら、オフィス全体から笑われましたね。
「挨拶だけは育ちが良い」と。