就職活動初期。
「自己分析が苦手」と言う人がいるが、そもそも得意な人なんていない。
もっと言うと、自己分析を拠り所にする必要はないと思う。
自己分析は“思い込み”
なんらかの自己分析ツールを受けるとする。
その質問に答える過程で、「自分はこうありたい」というイメージに寄せて答えていることが多い。
もしくは、「あなたって、こういう人だよね」という他人のイメージに。
つまり、「分析の結果、答えがわかる」というよりも「求める答えに向けて、分析している」という形なのだ。
嫌な言い方をすると、ああいう自己分析ツールは、“思い込み”を明文化するものだ。
もちろん、言語化が苦手な人にとって、思い込みを明文化してくれることには意味があるし、さらに、それに合わせて業界まで教えてくれる。
つまり自己分析ツールの価値は、
①企業に自分をアピールする材料を言葉にしてくれる
②志望理由を伝える材料を言葉にしてくれる
③何も知らない業界への視野を広げてくる
ことにあるのだろう。
また、急に社会から試されるかのような就職活動のタイミングで、「君ってこういう人だよ」と教えてくれる(=認めてくれる)ことが、安心感にもなっているだろう。
入社すると「向いている」「向いていない」の繰り返し
だが、ここでの自己分析結果は、あくまでもこれは“思い込み”だという認識はしておいて損はない。
就職活動を終え、1年弱が経つといよいよ社会人の一員となる。
意気揚々と入社を迎えるわけだが、数日で「自分、この仕事に向いていないかも」と思う人がほとんどのはずだ。
あの時の自己分析など砂のように吹き飛ぶ。
むしろ、「働くことが向いていないかも」と思う人だって少なくないだろう。
でも、それが普通と思っていい。
なぜなら、自分の仕事に「向いている」「向いていない」と考えることは、その先も続く。
30代になっても定期的あるだろう。
転職に思い立つまでいかなくても、日常の中で毎年考えることだろう。
周りより評価が良いと「向いている」と思い、仕事に失敗したら「向いていない」と思う。
天職と思える仕事に出会えた人は幸せと言うが、それもポジティブさからくる“思い込み”だ。
そういう人は、どんな仕事でも天職と思いながら仕事をしているのではないか。
また、ある部署で成果を上げているときに、異動などの辞令があったとき。
「なんで、自分が。。。上は何もわかっていない」と思うかもしれない。
でも、上の人からすると、その人に対して「別の分野でも成果を出せる」と思っているか、「他の人でも大差ない」と考えている。
本人の「向いている」「向いていない」は“思い込み”だから。
環境によって変わる、自己分析
なぜ、自己分析が“思い込み”かと言うと、そこに絶対的な比較基準がないからだ。
そして、だからこそ、この“思い込み”は環境によって変化する。
スポーツ選手は良い例だろう。
例えば野球の場合、小・中学校でエースで四番だった人が、強豪校に入ると途端についていけないことがある。
さらにその強豪校の中でも選りすぐりの選手だけがプロに進むのだが、ここでもレベルの違いが出てくる。
「才能がある」と思っていた人の多くがその過程で挫折していき、周りに比べて「才能がない」と自覚した人が努力を重ねて名選手となる。
比較基準が変わると、自己分析も変わってくる。
これは当然のことだが、就職活動中にはあまり気づけないことだろう。
「才能がない」と自覚した名選手と同じことだが、今やっていることに対して、もしくはやろうとしていることに対して、「向いている」「向いていない」と思った時。
自分がどういう行動をとるか、そこが一番重要になる。