日記というか、ひとり言。

散歩をしていて、スポーツ見ていて、映画を見ていて、漫画を読んでいて思ったこと。

ビジネスモデル以上に大切なもの

 

日本を代表する世界的企業として成長してきたホンダには、“挑戦・独創・革新”の文化が強く根付いていると言われています。

ホンダジェット

 

特に同社の創造性に大きく影響を与えている「三現(現場・現物・現実)主義」「A00(本質的な目標)」

そして、立場を超えて白熱した議論を展開する「ワイガヤ」は、自動車業界を越えて多くの企業が取り入れている手法でもあります。

 

しかし、そのような文化を根付かせた背景は、ある意味で、ホンダにとっては苦肉の策だったのです。

 

それは、創立者であり、根っからの技術屋である本田宗一郎の存在。

彼が紛れもない天才であったためです。

 

一人の天才の存在は組織に多大な影響をもたらします。

しかし、その反動も大きなもの。

天才・本田宗一郎が第一線を退いた後、ホンダは天才ではない普通の人だけでイノベーションを成功させる必要があったのです。

 

「A00(本質的な目標)」や「三現主義」を社内の共通言語とし、現場・現物・現実を知ることで、本質をつかむ集団を作り上げます。

さらに、異なる意見を交わし合う場の「ワイガヤ」を仕組み化し、全体の業務時間の5%をイノベーションに費やすようにしていきます。

 

現場の変化や世の中の変化を観察し、変化やユニークな事象を見つけ価値を見出す、異なる知見を融合する

こうした企業文化や仕掛けによって、天才ではない普通の人でも、イノベーションを成功できる組織と変えていきました。

 

結果として、ホンダでは1980年代と1990年代を通じてイノベーションの成功率は20%くらいに高まっていきました。

この数値は通常の2倍以上にも昇るそうです。

 

右腕であり、本田技研工業の二代目社長である藤沢武夫氏は、自らの著書『経営に終わりはない』でこう残しています。

本田宗一郎が死んだときに株価が暴落するようでは、その処置ができていないということです。本田宗一郎のつぎを、一人でまかなえるという人はいない。また、その必要もない。
一人でやったら、これはかえって危険です。そこで、複数の知恵を集めれば、本田一人よりもプラスになる。本田宗一郎の持っている力よりもレベルの高い判断力が生まれる。
そういう体制をつくらなければならないのです。」

「すべて本田宗一郎がいなくなったらどうするかというところから発想されたことです。
本田の未知への探求という基本は貫かなければならないけれど、彼個人の挑戦には限界があります。彼の知恵が尽きても、それに代わるものがどんどん現れてくれるような、それでも逆に企業が伸びてゆくような組織体を作ったつもりです。」

 

長く経営を続けられる企業は多くはありません。

注目を浴びたベンチャー企業がいつの間にか消えてしまうのも背景の多くに、世代交代が関わっていることは間違いないでしょう。

 

一時の成功のためには確固としたビジネスモデル(事業の仕組み)があればいいかもしれません。

しかし、寿命の長い企業となっていくには、現状に固執しない企業文化、そしてそれを根付かせる仕組みが欠かせないことでしょう。