タイミングが合ったので、区議会(予算特別委員会)の傍聴に行ってきました。
驚きました。
いや、がっかりしました。
「ベスト3」と書きましたが、順番は順不同だと考えてください。
【1】傍聴者は、傍観者。
まず、「どなたでも傍聴できます」と親切に書かれているものの、議案がわからないので、何について採決を取っているかわからない。
「第5号議案について、賛成の方起立をお願いします。」「賛成多数で可決します。」
それだけで、傍聴者はわかるか!
他の報告も、報告資料に書かれていることを早口で話すだけなので、その資料がない傍聴者には本当にわかりづらい。
その報告に対しても、「質疑のある方?」という委員長の促しはあるものの、0.5秒後には「ないようなので、、、」と流れ作業のように進んで行きます。
さらに、傍聴席と議員席の微妙な距離感とも相まって、ほんとうに聞こえづらい。
人によっては、わざと、聞こえないようにしているのかと思うほど。
「どなたでも傍聴できます」というメッセージは、区民が政策(とその成り立ち)を理解する場があると思っていましたが、違いました。
「どなたでも傍聴できます」=「暇な人用に、座れる場所がありますよ。」ということでした。
【2】報告者の話が聞き取りにくい。
伝えることが目的ではなく、決定事項を報告するだけ(事前に読めば済むこと)なので、聞きやすさは関係ないんです。
声の大きさ、スピード、抑揚、目線。
小学生の音読のレベル以下!
これでは、議員で寝る人が出ることも理解できます。
これが、さらに傍聴者からもわかりづらくさせている原因の1つでもあることは、言わずもがな。
7人くらいが報告したのかな?
区長の挨拶以外は、手元から目を上げて話す人が一人もいないことは、一番の驚きでした。
弁論が立つ人が政治家になっているはずなのに。。。
さらに、こんな報告も。
「●●の活用について善処していただきたいという進言があり、検討するという回答がありました。」
え? 何それ?
「何も進みませんよ」ということを言いたいのだろうか?
早口になるくらいなら、この段階でこんなこと口頭で報告しなくてもいいのに。
もしかしたら、わかりにくい報告が良いという世界なのかもしれないですね。
当選するまでは目立つことが重要で、当選してからは目立たない(=波を立てない)ことが大事なお仕事なのかもしれません。
【3】報告者が発言するまでに、儀式的な作法がある。
分科会の代表者が報告するまでの流れです。
①分科会ごとに報告者の名前を委員長が呼ぶ
②報告者は自席で、挙手をする
③演台席に進む
④演台席の前で議長に会釈
⑤演台席の前で他の議員に会釈
⑥演台席に座る
⑦報告者の名前を委員長が呼ぶ
⑧報告者は自席で、挙手し、起立する。
⑨報告する
この⑥⑦⑧は何のためにあるのだろう。
お焼香を思い出しました。
このように、「今までがそうだったから」という理由で同じことを踏襲する会議・組織からは、今までを変える政策が出てくるとは、到底思えません。
全ては、目的意識の欠如。
これに尽きます。
傍聴者席を作るのは何のためか?
報告するのは何のためか?
その作法は何のためにあるのか?
今本当に必要なものは何か?
そのために自分たちが、何ができるか?
そして、何をやらないか?(やめるか?)
それを考える仕事をする人が集まっている場であってほしいです。