「本当は、世界はこんなにも広いのに、
僕らはこの高校を世界のように感じて過ごしている」
現在レンタルショップの新作コーナーに並んでいる映画『桐島、部活やめるってよ』。
国内映画賞において10冠を達成するなど高い評価を得た本作は、人によっては退屈で仕方がない映画と言えるかもしれません。
登場する高校2年生それぞれがそれぞれの思いを胸に秘めながらも、自分の立ち位置や周囲との人間関係を気にしながら送っている日常。
そんな描写に、もどかしさと懐かしさを感じ、自分を重ね合わせられることが、この映画の魅力の1つと言えでしょう。
冒頭のセリフは原作からの引用なのですが、「高校」を「会社」と置き換えてみるとどうでしょう。
「本当は、世界はこんなにも広いのに、
僕らはこの会社を世界のように感じて過ごしている」
新入社員が加わる一方で、昨年の新入社員だった方は2年目に突入します。
一通りの仕事を覚え、自信もついてきたことではないでしょうか。
自信を持つことは非常に良いことです。
次の一歩に踏み出す勇気を生み出してくれます。
しかし、同時に自信が満足に変わっていることはないだろうか。
「同期と比べて、自分は成績を上げている方だ」
「職場では時期リーダーとして期待されている」
「今年の新人を見ていると、自分の方ができていた気がする」
「できている」という感覚、その時に見ている視野が会社や職場だとしたら、世界を広げる時期にきているのかもしれません。
社外の勉強会に参加してみる、選挙討論会に参加してみる、興味のなかった分野に趣味を広げてみる、いつも読まない雑誌を手にとってみる、いつもより少し豪華なお店に入ってみる。
自分のこれまで経験してきた世界に目を向ける、または身を置くことで、今まで以上の大きな世界を感じることができます。
それは同時に、自分の可能性の広がりを感じることにもなるでしょう。
そして、逆の立場の人「自分は“できない”社員かもしれない」そう思った人も、今見ている視野を世界とは思わず、広い世界に目を向けてみてください。
『桐島、部活やめるってよ』で描かれている彼らの世界には、見えないランクのようなものが存在します。
「部活で活躍しているかどうか」
「それは体育系か、文化系か」
「顔がいいか、悪いか」
そういったもので、知らず知らずに互いをランク付し、そしてみんながそのランクをはみ出さないように学校生活を送っています。
「見えないランク」。
物語の中だけでなく、私たちの思い出の中にもあるのではないでしょうか。
しかし、そのランクも大学に入学したり、企業に入学したりすると、何でもなかったかのように感じるものです。
見ている世界が変わったからでしょう。
世界の広がりは自分の可能性の広がり。