学習は何のために行うのだろうか?
なぜ、学習は必要なのだろうか?
学習の意味は広いですが、本や学校で学ぶことも、テレビで知ることも、実践から学ぶことなど全て。
その目的はは? 意味は? 価値は?
知識を学ぶため、確認するため。
能力を広げるため、精度を上げるため。
そのために学んでいる。
その先に何かやりたいことがあるため、その知識や能力が必要だからです。
また、学校のように、現前の必要性は感じないが、先人の経験から「これは学んでおくべき」ということで学んでいることもあります。
もちろん、それはその通りであり、だからこそ学習は価値があることだと思う。
ただ、学習にはこれ以上の価値があるのではないかと思います。
学習の真の価値とは何か?
それは、変化への抵抗感を減らすこと。
私がこう思うきっかけとなったのは、全く学習をしてこなかった40代の人と接していて。
非常に上から目線になりますが、「これはヤバいな」と感じました。
もちろん、学校では学んだ経験はある。
入社したての時に、先輩から教わったこともある。
でも、その後20年以上学ぶことを一時停止すると、「改善」「新しい方法」というものを受け付けなくなってしまう。
つまり、変化に対して抵抗感を持ってしまっていました。
やり方がわからないだけならまだ良い、調べれば良いことだから。
自分で考えられないだけならまだ良い、考え方を学ぶ環境があるから。
理解時に感がかかるだけならまだ良い、何度でも教われば良いのだから。
問題はそこではなく、「改善した方が良いんだろうな」とは思いつつも、頭が無意識に変化に抵抗してしまう。
そして、体が変化のための行動を拒んでしまう。
というより、動けない。
骨折して、長い間ギブスをし続けていると、ギブスを外した後にその部位が動かなくなってしまう。
長らく動かさなかったために、筋肉、腱などが固くなってしまっているためです。
脳も同じ現象が起きる。
長らく変化することがないと、変化に対する動きができなくなってしまう。
そして、そこに対して「このままでは良くない」という考えすら微塵もない。
「頑固」とも言えますが、これの怖いところは本人が気づいていないこと。
先述の「これはヤバいな」と感じたのは、自分自身に対してもです。
余談ですが、変化や新しい刺激があると、脳の中でも前頭葉野が活性化されます。
この前頭葉野では、記憶と情報の組み合わせによって、新しいものの創造・想像を行っていますが、それ以外にも働きがあります。
集中力を高めたり、計画性を高めたり、コミュニケーションの交通整理を行ったり、感情のコントロールを行ったり。
つまり、変化や新しい刺激がないと、前頭葉野が活性化されない。
そうすると、普通の生活にも支障をきたす可能性があるようです。
本を読むのでも、経験から学ぶのでも良いです。
それらの学習とは、単に知識・能力向上を行うのではなく、変化すること、新しい刺激を受け入れること。
そして、変化への抵抗感を減らすことが真の価値なのではないでしょうか。
誤解を恐れずに言えば、変化する世の中で、やっと普通の生活ができると。
人間には自然と「安定」を求めてしまう心理傾向があるので、変化への抵抗感をなくすことはできません。
知らないうちに居心地の良い環境・やり方に固執してしまうこともあります。
だからこそ、学習の機会が必要なのだと。
何でも新鮮に感じた子供の頃はまだ良いでしょう。
見知ったことが多いと錯覚する大人こそ、学習の機会を意図的に作り出すことが、重要と言えます。
以前、ある講演者の人に、私が付き人みたいに付いて回っていたことがありました。
その人は毎回、講演用の説明スライドを変えていましたた。
本当に少しだけ、見せ方を変えるだけなのですが。
その理由を聞くと一言。
「同じ仕事はしない」と。
学校の先生、研修の講師など学習の機会を作る立場こそ、学習(=変化)が必要と学びました。