日記というか、ひとり言。

散歩をしていて、スポーツ見ていて、映画を見ていて、漫画を読んでいて思ったこと。

効率経営がつくった“独り占め”文化

 

先日、ある小学校で、3年生向けに授業をしてきました。

あ、会社としての仕事じゃないですよ。

完全なボランティーア!です。

 

平日開催でしたが、子供たちの純粋さ、会社の理解、先生の遠慮のないお願いが絡まって、お引き受けすることにしました。

 

テーマは、「伝統芸能に関わる人々の想い」

僕は江古田獅子舞という伝統芸能に携わっているので、その地元の小学校から、こういったご機会をいただきました。

 

先生からもらった手紙には、こんなことを話してくださいと書いてありました。

 

②

 

依頼を聞いたのが一週間前、事前打ち合わせもなし。

当日行くと、先生からは

「好きにやってもらっちゃって、いいんで!」

と、前向きな笑顔と丸投げのお言葉をいただきました。

あ、失礼、自由な環境をいただきました。

 

とは言え、授業は45分。

・自分がなぜ獅子舞を始め、今も続けているのか。

・舞子以外にどういう人が関わっているのか(支えているのか)。

・今後どうしていきたいか。

といったことを質疑応答交えながら話し、最後には「江古田獅子舞に多くの人が興味を持ってもらうには?」ワークをやると、あっという間にチャイムが鳴りました。

 

①

 

多分に漏れず、後継者づくりに困っている江古田獅子舞。

授業に参画した小学生の一人でも、「自分もやってみたい」と思ってくれることも期待しています。

 

さて、その授業後に先生から質問されたことが1つ。

「『踊りの型が記された本も楽譜もなく、人から人へ口伝で伝えられてきた』ということでしたが、なんで、記録として残そうとしなかったんですかね?」

「“昔は舞子がいなくなる”なんていう危機感がなかったんでしょうね。

あ、実際には踊りの順番が記されたものはあるんですよ。

昭和時期ぐらいに書かれたものだと思うのですが、それも「右」「角」とかしか書かれていなくて、“わかる人が思い出す”レベルなんです。」

と答えたわけなのですが、それに対して、先生からハッとする考えが。

「なるほど、普通の人が見てもわからないんですね。

“誰にでもわかるようなものにしたくない”っていう思いもあったんですかね。」

 

ああ、そういうのはあるな。

伝統させていく、つまり伝えていく芸能。

でも、簡単には伝えたくない、伝えられない。

それが江古田獅子舞の神聖さを高め、そして舞手の誇りを高めていたのかもしれない。

と、自問してしまいましたね。

 

そして、奇遇にもこの授業の一週間後に、同じようなテーマの話が企業内でもありました。

ある企業の技術者の方の話なのですが、

「育成は管理職の仕事っていうのはわかるのですが、自分の技術を教えるのって素直にできないんですよね。

これ自分っていうより、会社全体が技術者気質っていうか職人気質な感じがします。」

会社としての視点は置いておくとすると、こういう気持ち、少しわかりますよね。

 

自分が長年かけて培ってきたものは、簡単に教えたくないもの。

そして、簡単には教えられないっていう気持ちもあるのだと思います。

それと自分の存在意義を示すものであり、他の人ができるようになると自分の居場所がなくなってしまうようにも感じるかもしれません。

 

こういうのは、この人も言っている通り、個人の問題ではないんですよね。

個人主義、職人気質的な文化であったり、長く単独業務しかやらせてこなかった組織構造の問題であったりもします。

 

そして、今、こういう会社が実は珍しくありません。

 

なぜか?

その会社に、過度に効率化だけを求めた時期があったからです。

個人主義、職人気質的な文化っていうのは、その人だけで仕事が完結できる時に起きるもので、リスクもありますが、楽なんですよね。

教えることはしなくていいし、自分の役割範囲を達成すればいい。

単独業務も面白みはないのですが、その分野に成熟した人材を育てるのは、スピードが上がります。

また、新たに人を育成しなくてもいい。

楽で、効率もいい、と感じます。

 

このように、目の前の利益を求め、“短期的なムダ”を省いた経営が、組織の風土を作り、個々の行動を形づくってきました。

 

こういう風土を変えていくには、意識ではなく仕事の進め方や組織体制をガラっと変えていかなくてはいけません。

 

そして、個々の対応として大事だと思うことは、期待している事を丁寧に伝えること

また、貢献の視点を変えてあげることだと思います。

 

先述の通り、長年の経験はその人の存在意義。

まずは上司や会社がその気持ちを理解する。

そして、教えることは、それを手放す事ではなく、広げることであると、理解してもらうこと

同時に、今の分野から抜け出さなくてはならない仕事も任せていくことが。