ある人事の方と話をしていて、「就活生がいよいよ焦り始めた」という話になりました。
経団連によって、「採用選考は大学4年の8月から」と指針が出されましたが、企業の動きは例年と大きくは変わらないようです。
「なんか軽い気持ちでセミナーに行ったら、結構重要な場だったぞ」
「あれ? 外資とかもう選考始まってるじゃん!」
と、メディアから抱いたイメージと現実の違いを認識し始めたようです。
弊社では新卒採用は行っていないのですが、個人的に就職活動生を初めとした学生との接点を持つことがあります。
そんな中で、「こういう人と働きたいな」と胸躍らせてくれる学生もいます。
どんな人か?
一言で言うと「やりたいことに向けて既に動き始めている人」です。
当たり前のことのように感じますが、「やりたいことは大きいけれど、今はまだ動いていない人」というのがほとんど。
これは私だけでなく、多くの採用担当者が感じていることだと思います。
「将来こんなことをやりたいからと思い、貴社を希望しました。」
いいと思います。
でも、本当にその意欲と実現可能性があるのは、その“やりたいこと”に向けて既に始めている人です。
(「それが就職活動です」って言われたら、ガックリ来てしまいますが。)
それが実現できるのは「将来」かもしれませんが、そのために行動を起こすのは「将来」ではありません。
将来のことをじっくり考える機会がない日本教育の責任かもしれませんが、「将来」という時間軸に甘んじていることを感じます。
それでも、将来に目を輝かせる学生の中には、具体的に動いている人も少なくありません。
社会人と比べて。
「社会人と比べて」?
そうです。
上から目線で恐縮ですが、様々な企業の社員の方と面談をしていて感じるのは、将来目指す姿に対して行動していることが少なすぎると感じます。
「具体的には何もしていないけれど、今よりもっとこうなりたい。」
仕事経験を積み重ねれば、スキルアップもついてくると考えている方が多いと感じます。
たしかに、仕事を通じて学ぶことは多くあります。
ただ、能力や個性、そして求めるものはそれぞれ違います。
そうなると、他とは違う取り組みも求められることは自明の理です。
そして何より、行き当たりばったりの自己研鑽となってしまい、大きな飛躍は見込めません。
17世紀の詩人ジョン・ダンは
「永遠に至るには、明日への一歩から始めてはならない。積み重ねでは永遠にいたらない。」
という言葉を残しています。
同じ小さな一歩を踏み出すのでも、明確なゴールを明確に定めてそこに向けて一歩踏み出すのと、とりあえず一歩進んでみるのとでは、意味合いと成果がまったく違います。
にもかかわらず、明確な意志なく、周囲(自分の目に見える範囲の)と同じペースで人生を歩んでいる方が多いことが現状ではないでしょうか。
このような状態は大企業病の一つに挙げられますが、まさに仕組みの整った組織でこそ“育ちやすい”人材です。
モデルとして示されるキャリアパス、定期的に行われる昇給、画一的に享受される教育・研修、そして段階的に与えられる仕事。
こういった、「標準」と感じられる仕組みこそが、「安心感」と「思い込み」、そして「思考停止」を生み出します。
「受け身な社員が多い、もっと自分で考えて動いて欲しい」と経営者は嘆きますが、良かれと思って作った仕組みが、受身な姿勢を助長してしまっているのです。
効率を考えると、仕組みを生み出すことは組織として重要なことです。
一方で、自分で自分の「目指す姿」や「そこまでの道のり」を自分で考える機会や選択が求められる機会こそ本人にとっては意味があります。
「あなたは将来どのようなことを実現したいですか?」
「あなたは将来どのような人になっていきたいですか?」
こういった類の質問は採用面接では定番です。
ところが、入社したとたん全く聞かれなくなってしまうことが不思議な話です。
あれらの質問から何を見極めたかったのか?
その、見極めたい要素というは社会人になってからこそ、重要なものではないでしょうか。