「日本にいたときでも、僕より若くてキャリアのない選手がいろいろ聞いてくることはありました。
でも、キャリアを積んだ選手となると、誰もいなかった。
こちらでは、3000本近く打っている人でもいろいろ聞いてきたことがあった。この違いは何なのか。」
イチロー
イチローの言葉を借りるまでもなく、日本の社会、特に企業において、上司・先輩が部下・後輩から教えを請うということはめったに見れないシーンではないだろうか。
情報化が進み、上司以外から得られる情報が多くなった現代において、「上司のみから教わる」という一方的なマネジメントは限界を迎えている。
にもかかわらず、このような“下に教わる”ということが、なかなか自然なものとならないのは、なぜだろうか。
個人的な理由ともなると多々あるだろうが、総じて、上司側にこんな心理があることが背景ではないかと思う。
・教わることが恥ずかしい(知らないことが恥ずかしい)
・部下の知っていることなど、たいしたことないと思っている
・たとえ知らないことがあっても、わざわざ見識を広げようと思わない
・部下を尊敬対象として見ていない
ぶっきらぼうに書いてしまい申し訳ないが、憶測であるこのような心理が本当にあるとしたら、非常にもったいない。
どんな職場にも上下というものが存在するだろうが、上司・先輩が部下・後輩に教わる職場というのは素晴らしい職場だと感じる。
どんな部下でも上司から頼られるというのは、嬉しいもの。
自分の知識や能力が認められていると感じるためだ。
そして、「知らないことがある」という自分を見せてくれることが、部下からすると心を開いて接してくれているように感じ、上司との距離の近さを感じられるものだ。
何よりも、部下の変化を促すものは、知らないことを素直に知ろうとする上司の姿、現状の業務・自分自身に満足することなく変化・成長を望む先輩の姿である。
上司が学ぼうとする姿勢自体が、部下の成長機会となり、上司が部下から学ぼうとする姿勢が、職場の風土を変えていく。
「上司が部下から学ぼうとするほど、部下も上司から学ぼうとするようになるのです。」
福島正伸『メンタリング・マネジメント―共感と信頼の人材育成術』より