日記というか、ひとり言。

散歩をしていて、スポーツ見ていて、映画を見ていて、漫画を読んでいて思ったこと。

伝統芸能に学ぶ組織の重層性

涼しい風を感じる季節になりました。

この時期になると週末には、日本全国いたるところで、お神輿を担ぐ声が聞こえてきます。

「ワッショイ、ワッショイ」と。

僕の生まれ育った地域でも、毎年10月の第1日曜日にお祭りがあり、僕自身もそのお祭りで獅子舞を踊っています。

江古田獅子舞」という伝統芸能で、発祥は鎌倉時代。

700年の歴史があると言われています。

獅子舞



小学2年生のときに始め、20年以上続けていますが、まだまだ学ぶことばかり。

舞子となるのは小学生から30代後半まで。

師匠となる人は、だいたいが60歳以上という世代間の中で、学校や会社ではなかなか見られないコミュニケーションがあります。

普段の遊び友達が、先輩・お手本になり、

商店街のお肉屋さんが、笛の師匠になり、

友達のおじいちゃんが踊りの師匠になる。

そして時には自分の父親が、師匠になる。

 

そこには同じ対象であるにもかかわらず、コミュニティが変わることで役割も変わり、普段とは違うコミュニケーションが発生します。

一人の人間が様々なコミュニティとかかわりを持つことで、多様なコミュニケーションを経験し、多様な人間関係を構築し、多様な役割を担っていく。

劇作家・演出家の平田オリザ氏はこれを「社会の重層性」と表現していて、この重層性が“逃げ場”を生み。“弱者”と思われている人たちを守る仕組みにもなると言っています。

この重層性の大切さに関しては、私も意を同じくするところですが、その価値については“逃げ場”だけでなく、“可能性を見出す場”という見方もできると考え、その上でその重要性を改めて感じます。

世代の違う人との会話は知識だけでなく、価値観の違いを考える機会にもなり、学校が違う子供たちの遊びからはまた新しいコミュニティが生まれています。

さらに、その場で普段の役割とは違う経験をすることで、新たな自分の可能性を見つけることにもつながります。

「教えた人がうまく踊れるとうれしいな。」

「お膳を吹いてありがとうと言われてうれしいな。」

「山車の飾り付けが、思った以上に面白い」


現在、「生活」の中では異なる考え方、もっと言ってしまうと違う世代とはかかわらないことを促すかのような仕組みが多く見られます。

カラオケボックスやゲームセンターには、うるさいおじさんは入ってきません。

コミュニティを広げるかのように見える、SNSもその実態は親密なコミュニティのさらなるコア化に近いかもしれません。

一見、安心感のあるコミュニティのコア化も見えますが、裏を返すとそれは“逃げ場”のないコミュニティになります。

「そこで、うまくいかないとほかに居場所がないから、みんなのペースに合わせて会話をしないと…」というような。


このような傾向は、会社においても見られることです。

先日、小岩の河川敷に行ったところ、ある企業が運動会の練習を行っていました。

最近では見られない光景ですが、あのような社内イベントもそういった機能を持っていると言えるかもしれませんね。