●●ハラスメントという言葉の種類が、年々増殖しています。
「セクハラ(セクシャルハラスメント)」。
「マタハラ(マタニティハラスメント)」。
といった言葉はもう一般的なものです。
「あの人はセ・リーグ」「あの人はパ・リーグ」なんて話を、野球を知らなさそうな女性が話しているのを見ると、すでにセクハラ、パワハラは、面白コンテンツ化してきている気もします。
この他、近年聞くようになってきたのは、
お酒を強要する「アルハラ(アルコールハラスメント)」。
体臭・口臭がキツイという「スメハラ(スメルハラスメント)」。
カラオケを強要する「カラハラ(カラオケハラスメント)」。
血液型で判断・差別をする「ブラハラ(ブラッドハラスメント)」。
さらには、鬼滅の刃の面白さを押し付けてくる「キメハラ」などとう言葉さえ出てきた時期もありました。
このような風潮の中で、それは言い過ぎだ。
と、「これらのハラスメントの訴え自体がハラスメント」だという意見も生まれました。
「ハラハラ(ハラスメント・ハラスメント)」という言葉で。
上記のアルハラ以降の例なんかは、訴えられた側からすると「悪気はなかったのに…」という気持ちの方が大きいのではないでしょうか。
「お酒を強要」ではなく、「お酒をおすすめ」くらいの感覚だったこともあるでしょう。
たしかに、言いすぎな面もあるし、ネーミングされることで、一般化されてしまう傾向もあるでしょう。
でも、やっぱり相手の捉え方次第なんだと、私は思います。
「悪気はなかった」と思った時に、「悪気」という言葉を「配慮」という言葉に置き換えてみてください。
意味の違う言葉ですが、自然と矢印が自分に向いて来るはずです。
「悪気はなかった。。。許して」
「配慮がなかった。。。申し訳ない」
気を付けて欲しいのが、善意=配慮ではないということ。
むしろ、善意を言い変えた「良かれと思って」は、「悪気はなかった」とほぼ同意語になります。
要するに、「良かれと思って」「悪気はなかった」も自分目線なんですよね。
そこに、相手の気持ちを考える「配慮」を持つことが大事です。
以前、学生サッカーの試合で激しいタックルをして、相手選手が退場してしまったことがありました。
タックルをした選手のコーチが、「わざとじゃないから謝らなくていいよ」と言っているのを目の当たりにして、「なんか違うな」と思ったことを思い出しました。