日記というか、ひとり言。

散歩をしていて、スポーツ見ていて、映画を見ていて、漫画を読んでいて思ったこと。

「教える」に込められた本当の意味

 

「教えているのに、なんでできないんだ?」

こんな発言は、教えることに対してものすごく一方的な印象を覚えます。

 

「教える」の語源は教える人の心に由来するといいます。

「教える」の「オシエ」は愛惜しむの「ヲシ(愛惜)」に接尾辞の「へ」がついたものであり、愛惜しむ心を持ち続けることがもともとの意味です。

 

「教える」=「愛惜しむ」として考えると、そこには上下関係は存在しません。

教えられる側が教えを請い、教える側が仕方なく行う。

そういうものではなかったのでしょう。

 

私塾・寺子屋など、過去から学びの場はありました。

もちろん、そこには自ら学びたい(教わりたい)という意欲が高い人が集まっていたことでしょう。

その一方で、教える側も義務感で教えていたわけでは決してないと思います。

そこには、学ぶ人への愛があったのではないでしょうか。

 

それが家族であれ、部活であれ、そして企業であれ変わらないものだと私は思います。

教えるという行為には、愛が必要であると。

 

教える人に愛があれば、相手のことを理解しようとし、本人の成長を心から喜び、その成長を決して諦めることはありません

 

特に、諦めていないか?

企業教育の現場で問う必要があることだと思います。

 

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