「WHYから始めよ!」
ちょっと前に流行ったのを覚えていますか?
マーケティングコンサルタントのサイモン・シネックの言葉です。
人々の胸をときめかせ、鼓舞することに成功した個人や組織がとってきた行動のパターンは、すべてWHY(なぜ)から始まっていると言います。
「なぜその事業を行っているか」「なぜそのような製品を作ったか」という目的や意義を伝えることが大事だと。
それを「ゴールデンサークル」という図を使って説明してくれていますが、非常にわかりやすいですよね。
彼の著書の中では、その事例としてiPadを世に出したアップル社を挙げています。
製品の性能(WHAT)をアピールするのではなく、「違いを大事にし、デザインによって世界を変えたい」という信条(WHY)を世の中に伝えることで、ファンを作る。
そんな新しいマーケティング手法を用いていると言います。
WHYを語ることの効果の一つは、このように「人を惹きつける」ことにあります。
脳科学の見地から言っても、WHYは脳に響きやすく、人の共感を得やすいと言います。
アップル社の事例ではWHYを伝えることで、ファン=顧客を増やしていました。
一方で、アップル社で働きたいという人も増やしている、つまり優秀な人材確保に貢献していることも間違いありません。
そして、今いる社員にとっても働く意義の納得感を高めてくれるものになります。
WHYを意識することの効果は他にもあります。
「仕事の基準が高まる」ということもその一つです。
石工職人の話などは有名ですよね。
「石を積んでいる」と考えるのか、「壁を造っている」と考えるのか、「人が集まる教会を造っている」と考えるので成果も仕事の仕方も違ってくるというアレです。
それと、見過ごしがちなことで、「組織をつくる」ことにも一躍を担ってくれます。
「人を惹きつける」に近いように感じますが、少しニュアンスが違います。
「組織が繋がる」と言った方がしっくりくるかもしれません。
見過ごされがちで、結構大事なことだと思います。
企業だけでなく、いろいろな組織で“縦割り”“セクショナリズム”“組織間の壁”っていうことが問題になっています。
これは、長いこと言われていることで、もう「問題」とも思われていないかもしれませんね。
「それは、もう、、、仕方ないよね」という感じになっているかもしれません。
でも、今の時代に、「横の連携がいらない」っていう組織はないと思うんですね。
どのような規模でも、どのような組織構造でも。
昔から必要だったことではあるのですが、“今だからこそ”求められています。
なぜか?
単独事業では、単独チームでは、他社に勝てなくなっているためです。
差別化を図るのが難しくなっているためです。
新しいアイデア、視点が求められているようになったためです。
だから「もっと横の連携高めなきゃね」「情報共有を盛んにしないとね」と言われるようになってきています。
そんな今だからこそ、サイモン・シネックの言う「WHYから始めよ!」っていうのが肝になってくると思います。
その事業で実現したいことは何なのか?
紐解いていくと、同じWHY(目的・意義)で繋がっていることが、必ずあるはずです。
そうでなければ、別会社にしてもいいくらいです。
精神論のように捉える人もいるかもしれませんが、「同じフロアにいます」「同じデザインの名刺持っています」「同じ社名です」っていうよりも、「同じWHY(目的・意義)」の下にいますっていうことのほうが、強い連帯感を作ってくれます。
それは、「会社」という枠を飛び越えても言えることです。
「弊社は、この分野において4つの事業を行っています。
それぞれのノウハウとアプローチがあるから、独自の提案ができます。」
というようなセールストークはよく聞きます。
が、実際はそれほど複数事業のシナジー効果を生み出せていないことは、言っている本人が一番感じていることでしょう。
表面的な連携しか見られないのは、WHY(目的・意義)などの本質的な部分を共有していないからではないか。
WHAT(事業内容・製品)の部分しか見ていないから、本当に意味のある連携が生まれないのではないか。
そんなことを、思ってしまいます。
もちろん、トップがWHY(目的・意義)を語るだけではダメ。
社員一人ひとりが「自分の仕事がWHYにどうつながっているか」を考えて、違う部署の人たちとも共有する場を設ける。
そういう地味で地道なことを続けることで、組織内・組織間に「同じWHY(目的・意義)のもとにいる」という同志としての連帯感が生まれます。
僕のイメージでは、そういうことが「組織が繋がる」ってことなんじゃないかと思います。
むしろ、それがあって初めて「組織になった」と言えるのかもしれません。
「WHYから始めよ!」
本で書かれている以上に、TEDトークで話されている以上に、示唆の多い言葉ではないかと感じる今日このごろです。