春になると、大学入学時のことを思い出します。
同じ学生でありながらも、高校生活までとは全く違う大学生活。
多くの先輩たちに刺激を受けながら、特に大人に感じたのは大学4年生でした。
2年生の先輩はもちろん素敵でしたが、3年生になると貫禄を感じ、4年生になるともう別格。
ユニクロのTシャツでも、4年生が着るとブランド物に見えるくらいに。
入学した4月はちょうど就職活動真っ盛り。
その就職活動に勤しむ姿、そしてその会話の内容も手伝ってか、半分社会人のようにも見えていました。
大学1年生から見る4年生は憧れの存在だったんですよね。
それは、小学生にだって当てはまります。
集団下校のときに見た6年生の後姿がものすごく大きく、頼もしかったことを今でも覚えている(ような、いないような)。
そんな「憧れの大学4年生」。
で、あったはずなのに、新入社員として会社に入社してくると非常に幼く見えることがあります。
「ある企業で」ということではなく、多くの企業を見ていて感じることです。
就職活動で学んだ第一印象の重要性。
それを意識した屈託の無い笑顔。
ハツラツとした受け答え。
それが新鮮さでもあり、同時に、幼くも見せているだけかもしれません。
一方で、新人を見る側である、周囲の視点によるものもあります。
大学1年生の私が、無条件に4年生に憧れの念を抱いていたように。
憧れとは逆になりますが、「新入社員である」という先入観が、「幼さ」のレッテルを貼り付けていることもあるでしょう。
また、逆に昨日まで新人だった社員が後輩が入ることで急に頼もしく感じることがあります。
「先輩社員になった」という本人の意識変化もあれば、これも「新入社員と比較して」という見る側の変化によるものとも言えます。
「立場が人を変える」と言われますが、正にこのことでしょう。
先輩社員として見られれば、先輩として振舞うようになる。
昨日まで最上級学年だった先輩も、新入社員と見られるようになると、自分もそれを自覚し、それ相応の振る舞いをするようになる。
私が思うに、「立場が人を変える」と言うよりも、「周囲の見方が人を変える」と言った方がより正確な気がします。
なぜかと言うと、単純に立場が変わるだけでは人は変化しないことが多いんですね。
その際たるものが「肩書き」。
特に「管理職になっても、一般社員と変わらない」と嘆く経営者は少なくありません。
「管理職になっても、一般社員と変わらない」という状態には、いくつかの理由があります。
まずは、管理職のお手本を見ていなかったということ。
だから、自分が管理職になったときに何をやればいいのかが全くわからない。
また、管理職の仕事を嫌々やっているということもあります。
だから、積極的に行動しようともしないし、わからなかったら勉強するということもしない。
これらは本人・職場の問題と言うよりも、管理職教育を行っていない、スキル偏重でマネジメント能力のない人を昇格させているといった会社としての問題が背景にあります。
そして、それらが相まって、管理職になっても周囲から管理職として見られていないという現実が、管理職の言動・意識を一般社員に留めています。
管理職を管理職として見ていない“周囲”の中には、その上司や経営者も含まれています。
「管理職になっても、一般社員と変わらない」と嘆く経営者の方もです。
むしろ、そういった上の立場の見方こそが、管理職の言動・意識に最も大きな影響を与えています。
管理職を管理職として見ていないから、管理職になりきれないのです。
成果を期待しているからこそ、細かい指示を出すようになる。
その気持ち、わかります。
成長してほしいと思うからこそ、社員の見本となってほしいからこそ、フィードバックも細かくなってしまう。
この気持ちも、わかります。
でも、それが行き過ぎると“子ども扱い”と同じになってしまいます。
その内容も「机の上を整理しろ」「元気に挨拶しろ」という具合に。
社会人教育と言うより、躾の領域に至っていることもしばしば。
日常的なフィードバックの視点が一般社員と同じようだと、それを受ける管理職はいつまで経っても一般社員から抜けることはありません。
管理職に抜け出した人でも、そのようなフィードバックを受けるうちに、一般社員に戻ってしまいます。
さらに、そういったフィードバックを他の社員の前でも伝えるものだから、周囲からしても「あの人はあのレベルの人」と刷り込ませてしまいます。
結果として、上司だけでなく、部下からも管理職扱いされなくなり、一層「一般社員と変わらない」管理職を育てることになってしまいます。
そして、ですね。
これは周知のことだと思うのですが、細かすぎる指示やフィードバック、そして報連相の機会の要請というのは、指示待ち社員を育てます。
社員の自律性の妨げとなっています。
あ、「改善すべき点があっても見て見ぬ振りをしろ」と言うのではありませんよ。
上司が、時には経営層となると思うのですが、管理職に「管理職として対峙する」ことが大事なんです。
まずは、視点を上げる問いかけ。
「会社の戦略についてどう思う?」
「部署間連携を良くするにはどうしたらいいかな?」
「長期的に考えた問いのリスクって何があるかな?」
そして、細かいフィードバックにも目的・期待を伝える。
「なぜ、そういう行動を取ってほしいのか。」
「職場でどういう存在になってほしいのか。」
「会社の戦略遂行上、将来的にどういう役割を担えるようになってほしいのか。」
など。
時には、社会人の基本と感じるようなことを注意しないといけないこともあります。
そういうときには、先述の通り、目的を伝え、そして伝える場を選ぶことが大切です。
管理職としての役割実践を求めるならば、役割を伝えるだけでなく、その人への対応も変えなくてはいけません。
こういう対応をお願いすると、「そういうレベルじゃないんです!」といった反応が返ってくるのですが、鶏と卵の関係なんですよね。
多くの企業と職場を見ていると、「管理職に物足りなさを感じている」と言う職場の多くは、その上司、経営者が管理職を子ども扱いしてしまっています。
子ども扱いされることが嫌な優秀な社員が抜けていき、子ども扱いされることに慣れた社員が残る。
子どものレベルのままで。
そして、また上司が「レベルが低い」云々言いながら、子ども扱いをして、細かい指示やフィードバックを行う。
そうすると、また、、、といった負のスパイラルに陥ってしまいます。
もちろん、中にはいると思います。
「何を言っても、どう対応しても改善が無い」「一般社員と変わらないどころか、部下以下ですよ」という管理職の人が。
うん、そういうことあるかもしれません。
もし、そうだとしたら、、、はっきり言いましょう。
それ、完全に人選ミスです。
そういった人選ミスは昇格基準や組織構造から見直さないといけない問題ですが、でも全員がそうなわけではないと思います。
そういう前提での、繰り返しになりますが、もし、管理職になった人で、「管理職としての言動として物足りない」と言う人がいるとしたら。
それは、その管理職を管理職扱いしていないのではないか?
上司が、経営者が、職場全体が。
そんなことを考えてみると、トンネルに光が見えてくるかもしれません。