剣術と剣道は、何が違うのだろう。
一般には、剣術は相手に勝つための技術であり、剣道はその修練を通じて人格を磨くものだと説明される。
術は技術。道は生き方。
こう並べると、「術」よりも「道」の方が一段上にあるように見える。
技術だけを追う段階を卒業し、精神性を備えたものが道である。
そんな印象を受ける。
しかし、本当にそうだろうか。
剣術には、目的がはっきりしている。
相手の攻撃を防ぎ、自分の攻撃を届かせる。
実際に使えるか、勝てるかという厳しい基準から逃げることはできない。
うまくいかなかったときに、「よい経験になった」と言って終わることは難しい。
役に立たなければ、術としては不十分である。
一方、剣道では、勝敗だけがすべてではない。礼を重んじ、心身を鍛え、相手を尊重する。
たとえ試合に負けても、その過程に学びがあれば、修練には意味がある。
これは、剣の価値を広げたともいえる。
戦いの道具だったものを、人間を育てるための手段に変えたからである。
ただし、「道」という言葉には危うさもある。
結果が出なかったときに、「大切なのは勝つことではない」と言えるからだ。
仕事でも同じような場面がある。
売上が伸びなくても、「組織として成長できた」と言う。施策が失敗しても、「多くの学びが得られた」とまとめる。
もちろん、成長や学びには価値がある。だが、それが結果を出せなかったことから目をそらす言葉になっているなら、話は別である。
道は、ときに結果を曖昧にする。
では、術だけを追えばよいのかというと、そうでもない。
術は、目的を達成するための方法である。
目的を達成すれば、それで終わる。
相手に勝てればよい。商品が売れればよい。
数字が上がればよい。
その力を何のために使うのか。
どのような人間として使うのか。そこまでは、術だけでは決められない。
優れた営業術を持っていても、それを相手のために使う人もいれば、不要な商品を売りつけるために使う人もいる。
技術は、使う人の目的までは選んでくれない。
だから、術と道は、初級と上級の関係ではないのだと思う。
術は、現実に働きかける力である。
道は、その力を使う自分の在り方を問い続けることである。
術のない道は、精神論になる。
道のない術は、目的を選ばない道具になる。
剣道は、剣術を捨てて生まれたものではない。剣を扱う技術を磨きながら、その技術を通じて自分を律する。だからこそ、「剣の道」なのである。
これは、健康にも当てはまる。
世の中には、健康になるための術があふれている。
糖質を減らす、毎日歩く、早く寝る、記録をつける。
どれも方法としては間違っていない。
しかし、健康術をいくつ知っていても、それだけでは生活は変わらない。
なぜ健康でいたいのか。健康になった先で何をしたいのか。
自分にとって、健康とはどのような人生を支えるものなのか。
そこまで考えたとき、健康術は、健康の道に変わり始める。
ただし、道を語るだけで歩かなければ、体は変わらない。
結局、必要なのは、術から道へ進むことではない。
術を磨きながら、道を見失わないことである。
方法だけでも足りない。
理念だけでも足りない。
現実を変える力と、その力をどこへ向けるのかを考えること。
その両方がそろって、初めて修練は続いていく。