メンバー間のコミュニケーション不足。
チームワークの欠如。
役割分担、分業、、、は良いけれど、自分の仕事しかやらない。
そんな課題を持つ組織は少なくないと思います。
「協力しよう」「ノウハウ共有し合おう」「自分の業務範囲に拘らず動こう」ということをリーダーが声高に言う。
そして、そのことの重要性もメンバーは十分に分かっている。
論理的にも、感情的にも。
でも、実際にそうはならない。
これ、ずっと不思議だなと感じていていました。
チームワークが大事と分かっているのに、動けない。
入社時は同期同士で協力していたのに、だんだん変わっていってしまう。
なんでかな? と思っていたのですが、色々な組織(主に企業)を見ていて、ある傾向を感じました。
メンバー間のコミュニケーション不足や、チームワークの欠如がある組織というのは、、、
すばり、リーダー・メンバー間の協力関係が弱い。
言い換えると、同志としての関係性が持てていないということです。
「役割分担がはっきりしている」っていうと聞こえがいいんですけど、「協力関係が弱い」と言った方がイメージに合います。
上司との関係性の中で、役割・分業に脳が縛られてしまい、それが周囲との関係性にも影響を及ぼします。
分業は、組織で何かをやる上で当たり前のことで、効率化、精度向上につながるものです。
それが組織という集合体になるメリットではあるのですが。
でも、行き過ぎてしまうと、「一緒にやっている」という連帯感がなくなってしまうんですよね。
「役割を担う」と言うより、「役割に縛られる」ような感じになってしまう。
これはメンバー同士でよく感じられる現象ではあるのですが、実はリーダーとメンバー間の方が顕著なのだと思っています。
メンバーにリーダーシップをとる場面もあれば、リーダーがメンバーのサポートをすることもある。
本来はそういうことがあってもいいのに(そういう関係を望んでいるのに)、そうならない。
肩書きが付くと、いつの間にかその肩書きに縛られてしまうことがあります。
「自分は指示を出す人、管理する人」と認識されることで。
もちろん、管理職になることで「一般社員とは違うぞ」という自覚と役割認識は重要です。
でも、「自分は管理職」という思いが強すぎて、それに縛られてしまうと、部下の意識も縛ってしまうことになります。
「自分は上司から言われたことをやる人」という意識に。
結果として、上司・部下の関係が、脳と手足みたいになってしまう。
さらにですね。
これが冒頭のようなメンバー同士の関係やコミュニケーションにも伝播していくのです。
上司と部下の関係や役割分担が固定化されることで、分業思考が強くなってしまう。
その分業思考が、メンバー間のコミュニケーション不足や、チームワークの欠如を生み出します。
もちろん、個々関係の集積が組織の関係になりますから、これがセクショナリズムというものを助長します。
組織としての効率性を高めようと役割分担をした結果、組織力を弱くすることになってしまっている。
組織に見られるパラドックスです。
これ、大企業で働く人ほど心当たりがあるのではないでしょうか?
上司部下間の関係が、肩書きで意識が区切られているなという感覚が。
「それは、自分の仕事じゃない」みたいな暗黙のものが。
「それが組織ってもんでしょ」と思われた方は、すでに脳が縛られているかもしれません。
上司と部下の役割は違って当たり前。
上司と部下は上下関係。
と思われがちですが、実際には役割など状況によって常に変わりますし、肩書きは借り物です。
伸びている企業ほど、プロジェクトごとに、状況が変わるたびに、リーダーシップをとる人が変わります。
上司部下が逆転することだってあります。
でも、違和感がないんです。
同じ目的・成果を生み出そうという感覚があるためです。
大事なのは、上司が部下を同志と思うこと。
手足と思ったらダメですよ。
同じものを目指す、同志です。
上司と部下、経営者と社員なんていうのは、その中での機能がちょっと違うだけなのです。
「リーダーもチームのメンバーの一員なんだ」ということを忘れないでください。
組織の中で役割分担は重要です。
ただ、「それは、自分の仕事じゃない」といった感覚が、組織全体に大きな影響を与えている。
このことは頭の片隅に置いた上で、自分の役割を全うすることが大切です。
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